将棋と湯のまち天童♪
日本一の将棋駒産地天童市。
なぜ、天童が将棋のまちと呼ばれるようになったのか…
今日は、天童と将棋の関係性についてお話ししたいと思います!
【天童と将棋のルーツ】
江戸時代後期、将棋が庶民にも定着してきた頃でした。
天童織田藩の財政は、大変な窮乏に苦しんでいました。
そこで、織田藩はかつて米沢藩から技を学んだ駒づくりで財政を立て直そうと、藩士たちを説得しました。
試行錯誤の末、幕末には天童伝統の草書体による書き駒の基礎が築かれたといわれています。
明治時代に入り、駒づくりが本格的な産業として天童に根付いてきました。
一時、天童は大阪と並ぶ大量生産地となりました。
大正期に入ると、いち早く駒木地の機械化を開発し、天童は町をあげての分業体制に入りました。
昭和30年代にピークを迎え、押し駒と書き駒は急速に衰退。
大正期に東京から取り入れた「彫り駒」が主流となりました。
現在は、機械による彫り駒を中心に、押し駒・書き駒・彫り埋め駒・盛り上げ駒の5種類を製作。
あらゆる駒を作る日本一の将棋駒生産地となったのです。
現在では、街中至るところに将棋駒のモニュメントや絵が描いてあり、
イオンモール天童の壁面にも将棋駒がデザインされていたりと、
天童に将棋は欠かせない伝統工芸のひとつとなっております。
湯のまち天童、将棋のまち天童。
書き駒体験などの体験ものから、果物狩り、冬は樹氷など通年楽しめる天童周辺。
秋の行楽シーズンから忘新年会シーズン是非、天童温泉へお越しくださいませ。